何となく、自分が他の人と感覚がちょっと違うのかもと思ったのは、幼稚園年長の頃でした。
節分の季節で鬼のお面(画用紙で鬼の顔の輪郭を作り、折り紙等で目や鼻をつけ、それをおでこに巻くタイプ)を作ることになった時のことです。
鬼の顔の輪郭を、私は縦の長方形に作り、切り終わって周りを見たら、お友達はみんな丸く切り抜いていました。
お友達からそれは変だのおかしいと散々な言われようでしたが、そのときはまだ笑顔で、四角い鬼さん本で見たんだよ~と返していました。
鬼の鼻を作っていたときの事です。お友達は“△”や“U”みたいな鼻を作っていましたが、私はこういう感じの鼻を作っていました。
それがどうも手を作っているとお友達には見えたようで、手を作っちゃいけないと当時には結構きつく聞こえる言い方をされてしまい、騒ぎに気付いた先生にも、何で手を作っているの?と聞かれ、私は必死にこれは鼻だと答えましたが、聞いてはもらえず、鼻を作りましょうねと先生に言われてしまいました。
結構な剣幕で鼻の事を言われたので、四角に作ってしまった鬼の輪郭も、みんな本当に変だと思っていたのだと気づいたのと同時に、言って駄目な(伝わらない)事あるんだとも感じるようになり、これがきっかけで、自分が考えることは何か違うみたいだから、自分の意見は我慢しなければならないと思うようになりました。
私は当時、日本昔話の本が大好きで、それに出てくるようなイメージで作っていたつもりだったのですが、誰にも伝わらなかった事、大好きだった優しい先生にも分かってもらえなかった事は悲しく、それでも先生やお友達が好きだったので、何かあっても自分が我慢すれば良いと思って過ごしているうちに、何かあったときは自分が悪いのだと思うようにもなっていきました。
~case1~end